答えが分からないけど、疑問なこと

  どうして生き物は全部死ぬのに生まれてくるのだろう? 多種多様な遺伝子を育み続ける事の意義って何なのか? ある物理学者が、時間の概念についての中で、我々は過去から未来まで無数の写真がばらまかれた状態で生きているようなものみたいな事を言われてた。じゃあ、愛して止まないあの可愛いペットたちとの時間は、宇宙のどっかに今も実在して、そこに移動できさえすれば、或いは思考か何かを集中すれば、あの子達とまた生きられるのかな。その臨場感の中だけでループできるのかな。もしかしたら、私がこの肉体を失う時叶うのかな? 

  一昨日、可愛い白と黒のまだらの空飛ぶペンギンの夢を見た。ガラス張りの天井を私の方に通り抜けて来て、腕の中に収まったかと思うとその子は眠り始めた。良く見るとその子の体の黒のブチはすっかりなくなっていて、黄色のクチバシ以外、全身真っ白だった。あんまり気持ち良さそうなので、ソファに寝かせ布団を掛けてやった。お腹は空いてないか、どこか怪我をしてやしないかの質問に、その真っ白なペンギンはやけに落ち着いた声で、全部大丈夫と言った。ペンギンが喋る驚きよりも、その声色にびっくりさせられた。今から思うと、クチバシはペンギンのそれでなくカモノハシの先だけ尖らせたような感じだった。

  夢の臨場感たるや、凄いものがある。本人には夢という自覚などない。生きたまま永遠に夢を見続けたらその中で生きられそう。この現実でさえ、認識できたもの以外、言い換えれば覚えていられるもの以外は全部存在しないも同然だけど。

時として認めたくないけど、私は君に恋している。君がやってのけた分かりやすい駆け引き。初めはバカにしてた。年上の友人達の、「そんなの遊びに決まってる。騙されるだけ。向こうはあなたより若いんだから、真剣なわけないでしょ!」を反芻しながら君とのやり取りを思い返す。一度も言葉を交わしたことはないけれど。

結構な時間が過ぎたのに、君の事が頭から離れない。機能脳的に表現すると、私の海馬には君が憧れの君として書き込まれたわけだ。元の偶像の座を奪って。

この間、君を見かけた気がする。定かではないが、想定内的時間と場所ではある。近くで出会ったら、また微笑みかけてくれるのだろうか? そうしてくれたら、今度こそキチンと見つめ返せそうな気がする。今度こそ。

人生の転換期の1ページに君が現れて以来、私はジェットコースターで旅をしている。諌める友人、応援する友人、感謝してます。少なくとも話を聞いてくれたこと自体、自分にはありがたい。この恋の物語は始まっていない。同時に終わってもいない。彼のことはほぼ何も知らないけど、このまま忘れ去れる予感は一切しない。こんな気持ちはかつて経験ないけど、どんなに探しても逃げ場所は何処にもない。

欲しいものを素直に欲しいと思えなくなるよりは、手に入れようと試行錯誤を繰る返し、端から馬鹿にされても耐えて生きた方が自分には楽だ。仕事も恋も理想なんて無理とだけ思うようになったら、それこそが終わりだ。 

 

失ったもの

正確には持ってはいるけど使っていいものかどうか分からなくなってしまったもの。誰かを好きになったり、何かを痛く可愛く思ったり、その感情の出所をかつてはよく知っていた。よく知っていると思っていただけかもしれないが、自身に納得できるレベルで出所を真摯に受け止めていた。現在、長年勤めた職場を辞めて約1年。昔は、一人で事務所を開いて働いていたこともあった。兎に角、色んな価値観が疑わしく思えて仕方がない。ある人は言うかもしれない。「暇すぎるんでしょう。きっと。」そうかも知れない。なら、尚更、暇なうちに決着をつけたい。失敗を怖れて尻込みするのでなく、何故そこに行きたいかがクリアに見えないから。行き着いた先で私は何を得たいのか? 友人と企画中のゲームプランがある。幾つかのハードルがあるが、乗り越えられると思う。最大の難関は自分の中のこのモヤモヤ。ゴールに近づく程に抵抗が増す。価値観同士を繋いでいた回路が寸断されてしまっているからだ。新しく繋いでゆけるという醍醐味のみに身を委ねられたらどんなに素晴らしいだろう? これこそ新天地と呼べるものじゃないんだろうか。前の自分に戻れないかもという不安があるのかも知れない。戻ると新天地、なんと相反したことか。やはり、新しいことを恐れている? これからこの恐れ自体をゆっくり確実に手放していこう。

はてなブログは4周年! 私の変わったこと、変わらないこと

「4年間で変わったこと、変わらないこと」

 数年前から年下の異性の魅力というものが理解できるようになった。同年代や年上の人達は、彼らの持つ少年を時に垣間見せてくれるが、20、30代の人ではその少年頻度が高い。当たり前だが。以前は違ったけど今は少年らしさがより一層素晴らしいものと思える。自分的には180度変わってしまった。友人に言わせると、私が歳食ったせいだけだと。本当にそうなんだろうか? 若い頃はより完成されたものに憧れたけど、結局のところ、高みに向かって喘ぎ続けるところに人の美しさが垣間見える。そのベクトルのより大きなものに目が行くだけなのかもしれない。歳をとったら、大人の恋が出来ると信じていた。現実は物の見事に私を裏切った。過去に学ばずスルーしてきた事柄に今になって振り回されっぱなしの日々。幾つになっても相変わらずの内弁慶な自分をそろそろ返上して、新しい新天地を目指したい。と心から願う。